お客様、皆様、今日は!
阿倍野区昭和町「マンツーマンプライベートサロン美容室」
BI-BRUSH (ビ・ブラッシュ biwomigaku 美を磨く) を運営しています
宮地宏幸(ミヤジヒロユキ)です。
私が美容師 キャリアをスタートさせたのは愛媛の高校を卒業して18歳の春、上阪したところからが始まりです。
高津美容専門学校を卒業後、大阪府下に10店舗展開する 美容会社に就職し その後、国内 300店舗を超える美容FC グループに就職しました。
写真はBI-BRUSHをオープンしたばかり33歳の夏終わり頃で母親に宛てた手紙の中の一枚で、現在の状態とお客様にギャップを比べていただけると面白いかなと思い 載せています。
美容師になったきっかけ
私が美容師を目指したきっかけは、高校生の頃、当時のタレントやアイドルのようなカッコいい髪型に憧れたことでした。憧れであってまさか ご当人みたいになれるとは思ってみませんでしたがどうしたらあんなに自然な流れが出たり、キレイな形にまとまるんだろう…そんな疑問から始まりました。
そこで、両親には内緒で、お年玉やバイトで貯めたお金を使い、初めてパーマをかけに行ったんです。でも、学生だった私は元々、人見知りが激しく人の様子をうかがうような性格だったので美容師さんに上手く伝える方法がわからず、スマホもない時代で写真を見せるという発想もなく…。雑誌で見た「しっかりパーマが当たっている」という言葉をそのまま伝えたら、髪がチリチリに爆発したようになってしまいました(泣 。
親には怒られるし、学校へいくとどしたん、宮地、その頭。いじられ あだ名は”クマさん”。で、登拒。
" いや...、複雑な事情があってね...好きでこうしたんじゃないんだけどね...でも、まあパーマあてたいって言ったのは自分だしね、・・・""
現在では美容師という仕事柄、このやり取りは伝え側と受けとり側、双方の認識の違いをしっかり確認しなければいけなかったというのが よくわかりますが 当時は 深掘りできなかったところに要因がありました。
小さい頃から絵を描いたり、ジュエリーに興味を持ったり、ものづくりが好きな性格だったので、美への意識が強い子どもだったのかもしれません。「どうしたら恰好のいい理想のヘアスタイルにできるんだろう?」という気持ちが、美容師に成る原点になっています。
目の当たりにした現実 〜流れ作業の美容業界
美容師を目指し、専門学校を卒業して就職。夢に描いていた世界に飛び込んだものの、現場で目にしたのは「流れ作業」のような仕事の進め方でした。
時代が進化し 仕事の仕方が少しずつ変わったものの、シャンプーをする人はシャンプーばかり、カットをする人はカットばかり、髪を乾かす人はセットばかり…。施術のたびに担当が変わるため、お客様の希望やお悩みがスタッフ間同志でイメージがしっかり共有されず、不満が残ることも多かったのです。私はそんな現実に違和感を覚え、「このやり方が本当にお客様のためになっているのだろうか?」と疑問を持つようになりました。
大切にしていることと向き合う
いくつかのサロンを経験した後、長くお世話になった店長は、私の働き方のスタイルを見抜いてくれました。
その先輩師匠はカットコン優勝 2回、準優勝 複数回、その他 入賞数知れず、「宮地、ここ座ってみ、どんな感じにしたい?」その店長は私の思ったとおり以上のヘアスタイルにしてくれました。
スタイリストデビューした頃、一般的な「ユニット」の分業制ではなく、カウンセリングから仕上げまで融通変動型のほぼ一人で担当できる環境を与えてくれました。
この仕事の進め方が、自分にとても合っていると感じました。そうした 仕事の仕方に居心地が良くてその店長のもとで独立するまで13年間お共させていただきました。 独立するまで 私は独りでしたので 気を遣っていただいて休日もよくご一緒させていただき、お客さまやお店、サロン運営の仕方、技術に対峙する考えや組み立て方、気持ちや生活のあり方などお話しをたくさんしました。
言わなくてもいくつか理由があるのはわかっていましたが、ずっとご一緒させていただきたかったですね。
本社役員の経営陣はうまくまとめようと 職場を与えてくだっさった意図しているのが実感で 配慮には感謝してるんですが、本当に考えさせられ 育ててくれたのは長くに時間を過ごした親方である店長とお客様ですね。
経営方策が変わったことをきっかけに会社とは雇用主用の関係で何の縛りもなかったので、お客様から「宮地さんがつくるお店を見てみたい」という声が増え、お客様を守りたいと思ったのと同時にその希望に応えたかったので BI-BRUSH をオープンすることを決意しました。
オープン当初は新規のお客様が1日2〜3人来店するような状況で、スタッフと分担しながら施術をしていましたが、やはり私は「マンツーマンでお客様と向き合うスタイル」が合っていると改めて実感しました。一人 仕上げては、また1人と。 そしてまた一人 。目の前のお客様と向き合って。
BI-BRUSH ができた理由
お客様は月に一度必ずおいでいただきますのでカットだけでも1時間、つまり 1年を通して12時間以上 1日は必ず 1年間という中でご一緒させていただきます。スタイルをお気に召しますと長いお付き合いをさせていただくことになります。
お客様は初めはあくまでも お客様で 受動態でサービスを提供する側は能動態 ですので ご希望に添えるため与えられた時間の中で一生懸命 模索しコミュニケートを取ろうとします。
パーマ やカラーですと2時間以上ですので 1年を通して 2~3日は有にご一緒させていただくことになります。 頻度の高いお客様は軽くそれを上回りますのでスタイルを通じて理解をして欲しい 分かりたいというコミュニケーションが 双方の思いや この時間の密度は非常に濃く大切で、 時間の帯はどういった価値にも代えがたく、語弊なく実質の家族以上の頻度にも置き換わってきます。
「カットコンでヘアモデルをお願いしましたら普通に入るでしょうね。」など お話ししながら。
何十年もカットしていますのでキッチリ 切られているのかどうかは分かります。
長きに ご来店いただきましたお客様で お会いしたことのないご家族の方がサロンを訪れますが理由を理解をするのに しばらく時間がかかったこともありました。
私はもともと 実体験を通じて技術者にありがちな経営や数字の様々なケースを見たり管理があまりすきにはなれなかったため、「どうしても自分のお店を持ちたい!」という強い独立願望があったわけではありません。 数字で示されたことは 建設的で進化されたものとは思いますが そこにはあらゆる世界の性質や思想 思惑が絡んできます。 「クールじゃない」はいやでお店は持ったのですが なにも代えがたい貴重な人生という時間の中で経営計算がすきで事業経営者やオーナーという表現には全く微塵も 興味もなかったので 当初から いまだ運営者 または責任者とした表現をしています。CEOや、なんちゃら取締役で自称しなくても 赤の閃光 や 髪の仕者、白の彗星、髪の魔法使、天使の守人、音ぉさん、Kenッ、 など自発的にサポーターから呼ばれる方がクリエイティビティで恰好いいじゃないですか。
髪様のいたずらか意志 なのか わかりませんが結果的に「マンツーマン施術 × プライベート空間」というスタイルを選んだことで、お客様がリラックスできる環境をつくることができ、多くの方に喜ばれるサロンとなりました。
お客様一人ひとりのお悩みに真剣に向き合い、「もっとこうしたい!」という想いを形にしたお店が BI-BRUSH です。
BI-BRUSHの理念
ありがたいことに、多くのお客様が 2回先、3回先まで予約 を入れてくださっています。それだけ信頼していただけるのは本当に嬉しいことですし 仕事の充実感を感じています。
でも、近年は社会の変化によるストレスの影響が、頭皮や髪にも現れていると感じていましたのでBI-BRUSH に来てくださるお客様のために、より良い薬剤や技術を追求し、これからも「一人でも多くの悩めるお客様の力になりたい」と強く思っています。
経 歴
小さい頃から技術や絵を描く成績も悪くなかったので 、多少 器用だろうなという自覚はあったのですが美容専門学校に行って驚きました。今までは器用かなと思っていましたが周りには さらに器用な人がいるので 私は普通か、並より下なのです。よく考えてみると当たり前で、器用といわれてきたからこの職業を選んだということです。周りには自分は少し器用というのは平均的で、中には 実家が 美容室だったり 幼少の頃から美容師を目指していたという子ばかりですから成績が優秀な美容学校の友人は技術で何をさせても正確で早いし 上手い。
こういった環境の中で、並より下から競争して頑張っていかないといけない。倍、頑張らなきゃな と思いながら18の頃から仕事をしていたので 順当に21歳くらいからカット スタイリストとして働いていました。
カッター(カットスタイリストデビュー)を始めて1年ほど経って 中堅どころの カットコンテストに出場し ブロンズプライズを獲得しました。
ですが、担当させていただいてる お客様が自分のことのように喜んで頂いたことの方が、もっと嬉しかったです。
お客様は美容師のカット コンクールがどのような雰囲気なのか、どんなものなのかわからないから知りたいというご希望のお客様には段ボール箱 いっぱいの お写真をお見せさせていただいています。
コンテスターとしては それが始まりで その後20代は カットコン、カット コンクールに毎年のように出場していました。多い年で大・中・小の大会を総合すると数えてはいませんが平均でほぼ月1の10大会前後はエントリーしていたと思います。
月曜日メルパルクホール大阪の大会に出場して、かすりもしない大会の結果でも、次の大会があるのですぐ翌日の火曜日までに 横浜アリーナの会場に行き、前日の大会を落としても 翌日の大会で賞を取ったり悲恋哀愁を感じて落ち込む時間の余裕がないことを自分に課していました。Wトンボ帰りしながらそのうち 数うちゃ入賞するだろうと、次の日は普通にサロンの営業に出て 美容師オンリーの 生活をしてましたので そういったわけわからなかった状態が 慣れて当たり前になっていましたのが楽しかったですね。
なぜカット コンテストで何度も出ていたのかはいくつか理由があります。
1つは 国内で権威のある大きいメジャーコンテスト だと 全国各5大都市のエリアから50名ずつ 絞られた 腕利きの 精鋭美容師が集まってきて決勝大会に参加しますので その仕事や技術を目の当たりにできます。ありがたいことですね。関西地区の出場枠に入らなければ 切り替えて中部地区に出場します。 そこで入らなければ 九州エリアに出場します。 そこで落としても出場する枠に入るまで 日程が違えば 何どでも同大会選抜枠にトライします。 しつこく。もう、わけがわからなかったのがおもしろかったですね。意地というよりおもしろい。後輩からもう辞めとけばって言われてもうるせえって、正常な思考が自身でもどうなってるのかわけわからなくなってたくらいトライしてたのが楽しかったですね。国内のその地区エリアで水準の高い美容師と交えるわけですからそこでいろいろな実体験をして勉強します。 20歳前後の美容師から 40代 50代 になる超ベテランの美容師まで老若男女関係なく、全国に展開する 他の 美容グループやブランドサロンの統括マネージャー、 テクニカルディレクター、クリエイティブディレクター、 技術 総責任者など 様々なキャリアや技術・実績を持った美容師が多数 参加するからです。アベレージに実力者の顔ぶれがで揃う中で十数回の大会の内 たまにポンと二十歳過ぎぐらいのルーキースタイリストがメジャー大会で優勝しますが、フロックではなく紛れもなく その背景には優勝できるだけのバックボーンや 下地が当然の理由として存在します。当時、私の印象では アッパークラスからホワイトクラスまで 世界の玄関口である関東エリアが 環境的に恵まれていると感じましたが、現代では ネットなどの普及により 国、エリアによる 情報という面では垣根が溶解していて差異はありませんが、生身の心が実際に感じて気がつくアナログチックな側面が大切で現代に存在しているのが稀で 非常に希少性の高い重要な部分 だと感じています。
2つめは純粋な技術や理論をぶつけてみたい 、そこに集まってくる人の中で感じたい 経験したい 同じ空気をあじわいたい、一緒にいたかった というのが理由で、腕のいい美容師が上位をほぼ独占してくるので情報交換の交流ができます。自分の中にある技術者としての価値観では最大で一番大きな理由だったかと思います。日本国内で純粋な技術者を決めるのです。コンテスター常勝軍団のKENJEさんは次元の違う強烈なインパクトと異彩を放った仕事をしている場を何度も見ました。多くの コンテスターはケンジさん 目してトライしていた印象が強くあります。
3つめは 美容師は腕を磨きたいお店を持ちたいというのが誰でも夢です。その業種に携わる” ご当人主体の考え ? ”たくさんの美容室や美容師がいる中で一貫性がなく 別使の精神から創りだされる価値がある何かが存在しないと 埋没してしまう、サロンを運営存続させていく上で お客様に必要とされる理由が必要で 限られた 20代という修行時代はいつまでも続けることが難しい、その時は二度と来ない非常に重要で 大切な勉強時期にあたります。 そこである程度上位に成績を残すことができるのが フィルターになると考えたからです。大きい大会の初年度総合結果はリザルトで186位。翌年126位、翌々年、83位、翌年41位、30位、射程に入ってきます。データ率から換算して1年間で40%の力しかついていない…トップ20の入賞圏内領域に食い込むには時間がかかり過ぎるし至難の技になってきてる…そこで毎年優勝者や入賞者を輩出するFCグループ、美容師に直接コンタクトを取り、教えを乞いに東京、神奈川のサロンを訪れます。 相手は自分自身です。 突出した才能がなくて、並みでも 望まれたご希望に対して自分にきびしく、人にやさしく逃げずに必死にやっていれば応援してくださいます サポーターは必ず 一 定数います。
ヴィダルサスーン杯、ケネス杯 、ビューティー クリエイター フェスティバル 、エクセル フェスティバル 向原杯、フェスティバル&ジャポン、モード杯 、美容ジャパンカップ、ミルボン クリエイター フェスティバル、その渦中、私は30そこそこで一生はまだ全うしていないけど直感で、美容師人生の中で、今が一番幸せなんだろうな と感じていました。
その時の体験や 修行時代が今のビ・ブラッシュの礎となっています。
お客様と共に20年以上サロンを続けてきたとともに 美容師 人生としてのキャリアが次の第二ステージに入ってきたことを感じ、繰り返し施術されるヘアカラー・ パーマ などのダメージから一人でも多くのお客様や髪質の健康を守りたいと考えています。
お客様の未来
髪の毛や頭皮の状態、ヘアスタイルのことでお悩みはございませんか?
ぜひお気軽にご相談ください。お客様の髪や頭皮の状態、なりたいイメージにしっかりと向き合い、適切な施術と丁寧な接客で、お悩みを解決し理想のスタイルを叶えられるようサポートいたします。
ご新規のお客様は 私にとって初めて施術させていただきます髪質ですのでご希望の ヘアスタイルやお悩みなど カウンセリングやアフターなどのお時間は30分は確保しています。
あなたにとって 「また来たい」と思える美容室 であり続けられるよう、ま心を込めて実現できるように致します。
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